BSマンガ夜話 第2日「東京ラブストーリー」柴門ふみ
2004年6月30日 TV
ISBN:4091920918 文庫 柴門 ふみ 小学館 1995/10 ¥590
えーっと。
いしかわじゅんは本当に柴門ふみがキライなんだな、と。
まぁ画力がないとかいろいろ言っていましたが、
毎回思うんですが、その言葉をあなたにお返しす(ry。
夏目房乃介さんが「多メディアと融合して成功した最初の例」と言っていたけど、
トレンディードラマの最初にもなったし(織田裕二は否定したいそうですが)、
マンガが大衆のものにもう一度立ち返ったきっかけになったものではないかと。
だって、「(売店でガム買う話を)ふつう全部セリフでは書かない」と言いますが、
それはあくまでマンガを書いている人、ないしは専門的に見ている人の立場からものを言っているのであって、
一般大衆はそこまで苦労してマンガを読む時代ではないのですよ。
(ややこしくさせたのはそれこそ手塚治虫でないのか)
それを「現代人が忙しくなったから」ととるか「バカになったから」ととるかはおいといて。
「通のためのマンガ」ではなく、「一般大衆のためのマンガ」を書いた、これが最大の功績ではないか。
もっと極言すると「消費財」としてのマンガだ。決して「作品」としてではなく。
もちろん、これには功罪の「罪」の面もあって、
「通」であるマンガオタク(あえて)は拒否反応を示していた(んでしょ?いしかわさん)、
なのでフォロワーが出なかったという論理は強引かな。
夫君の弘兼憲史もフォロワーって寡聞にして聞いたことないし。
#まぁもっと論理を飛躍させると、「青年マンガ誌」のジャンル自体、
もっと言ってしまうとマンガ自体が、実は消費財なのかもしれない。
管理人さんは、あれだけはまっていた「東京ラブストーリー」を今では赤面して読めないそうですが、
別にこれは恥ずべきことではなく、
今のマンガだって何年か経ってから正視して、ノスタルジーでなく読めるのかと。
設定が限定されているからとかいう問題ではなく。
おれが勝手に「後世に残る」と思っているのは
浦沢直樹「MONSTER」と吉田秋生「BANANA FISH」くらいだと思ってますけど。
この2つの共通点は何か。
ストーリー展開も画力もあるけど、結局は「舞台が日本でない」ことではないか。要は非日常の世界。
さて、「リカは東京だった」というのがある種テーマになっていますが、
わしら上京学生(男)は、それこそ「東京ラブストーリー=東京」そのものだったのだよ。
あの時代に東京にいた人は、それぞれの登場人物に自分を重ね合わせれたし、
それこそ地方の人でもマンガやドラマを通して同じことができた、
ラストシーンで「彼女はかつて僕が愛した女だった」云々のところは
「スカボロー・フェア」であると同時に、
東京を否定したくてもできない、というあきらめなのではないだろうか。
今となっては恥ずかしい、消してしまいたい経験だったのかもしれないけど、
別に恥じることはないじゃん。
あの時代、確かにぼくらは生きていたのだよ。東京が作る渦巻き世界の中に。
えーっと。
いしかわじゅんは本当に柴門ふみがキライなんだな、と。
まぁ画力がないとかいろいろ言っていましたが、
毎回思うんですが、その言葉をあなたにお返しす(ry。
夏目房乃介さんが「多メディアと融合して成功した最初の例」と言っていたけど、
トレンディードラマの最初にもなったし(織田裕二は否定したいそうですが)、
マンガが大衆のものにもう一度立ち返ったきっかけになったものではないかと。
だって、「(売店でガム買う話を)ふつう全部セリフでは書かない」と言いますが、
それはあくまでマンガを書いている人、ないしは専門的に見ている人の立場からものを言っているのであって、
一般大衆はそこまで苦労してマンガを読む時代ではないのですよ。
(ややこしくさせたのはそれこそ手塚治虫でないのか)
それを「現代人が忙しくなったから」ととるか「バカになったから」ととるかはおいといて。
「通のためのマンガ」ではなく、「一般大衆のためのマンガ」を書いた、これが最大の功績ではないか。
もっと極言すると「消費財」としてのマンガだ。決して「作品」としてではなく。
もちろん、これには功罪の「罪」の面もあって、
「通」であるマンガオタク(あえて)は拒否反応を示していた(んでしょ?いしかわさん)、
なのでフォロワーが出なかったという論理は強引かな。
夫君の弘兼憲史もフォロワーって寡聞にして聞いたことないし。
#まぁもっと論理を飛躍させると、「青年マンガ誌」のジャンル自体、
もっと言ってしまうとマンガ自体が、実は消費財なのかもしれない。
管理人さんは、あれだけはまっていた「東京ラブストーリー」を今では赤面して読めないそうですが、
別にこれは恥ずべきことではなく、
今のマンガだって何年か経ってから正視して、ノスタルジーでなく読めるのかと。
設定が限定されているからとかいう問題ではなく。
おれが勝手に「後世に残る」と思っているのは
浦沢直樹「MONSTER」と吉田秋生「BANANA FISH」くらいだと思ってますけど。
この2つの共通点は何か。
ストーリー展開も画力もあるけど、結局は「舞台が日本でない」ことではないか。要は非日常の世界。
さて、「リカは東京だった」というのがある種テーマになっていますが、
わしら上京学生(男)は、それこそ「東京ラブストーリー=東京」そのものだったのだよ。
あの時代に東京にいた人は、それぞれの登場人物に自分を重ね合わせれたし、
それこそ地方の人でもマンガやドラマを通して同じことができた、
ラストシーンで「彼女はかつて僕が愛した女だった」云々のところは
「スカボロー・フェア」であると同時に、
東京を否定したくてもできない、というあきらめなのではないだろうか。
今となっては恥ずかしい、消してしまいたい経験だったのかもしれないけど、
別に恥じることはないじゃん。
あの時代、確かにぼくらは生きていたのだよ。東京が作る渦巻き世界の中に。
コメント